- 1 : 2025/11/06(木) 22:42:18.40 ID:cR8gKKEZ0
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今、メディアやSNSを中心に「ヘイト」を巡る言説があふれてる。立教大学教授の橋本栄莉が、文化人類学の観点から「ヘイト」の正体に迫る。
なぜ人は「ヘイト」に陥るのか? 人類学者が説く「物語」という名の呪い(Forbes JAPAN) - Yahoo!ニュース今、メディアやSNSを中心に「ヘイト」を巡る言説があふれてる。立教大学教授の橋本栄莉が、文化人類学の観点から「ヘイト」の正体に迫る。 「ヘイト投稿」「ヘイト拡散」「ヘイト認定」──。昨今、このカタnews.yahoo.co.jp - 2 : 2025/11/06(木) 22:42:27.58 ID:cR8gKKEZ0
- 「ヘイト投稿」「ヘイト拡散」「ヘイト認定」──。昨今、このカタカナ3文字を含むワードが、メディアやSNSで見ない日はないほど取り上げられている。「ヘイト」は、特定の人種・国籍・民族・宗教や性別をもつ集団に対する犯罪・暴力的行為を指す「ヘイトクライム」、差別や排斥をあおる言動である「ヘイトスピーチ」に由来する言葉だ。なぜヘイトはこんなにも話題をさらい、なぜ人はヘイトに陥るのか。ヘイトの正体とはいったい何なのか。文化人類学者である私自身の経験も交え、考察してみたい。
文化人類学とは、文化的他者と生活を共にし、その思考を体得することを目的とする学問であり、その対象はアフリカの「部族社会」から現代の科学者コミュニティまで多岐にわたる。とはいえ、文化人類学者といえども超人ではなく、その辺にいる普通の人間に過ぎない。他者理解を掲げながらも、調査対象者である人々とけんかをしたり、彼らを受け入れることができずに嫌悪感を抱くこともしばしばある。念のため断っておくが、文化人類学者は差別問題の専門家ではない。しかし、誰よりも「他者と共にあること」「他者を理解すること」のジレンマに苦しみ、自身のなかに巣くう偏見や嫌悪感情と向き合っている。そういう意味では、「ヘイトのスペシャリスト」とも言えるだろう。
私はこれまでアフリカの紛争地域で人々の信仰や歴史観を研究し、近年では日本社会におけるさまざまな生きづらさを「呪い」として読み解くコラムも執筆している(注1)。世界の神話や信仰、そして 人々の苦しみや生き様を見ていると、人間は国家や民族、さらには幸福や成功といった、さまざまな物語に翻弄されながら生きていることが浮かび上がってくる。
※(注1)橋本栄莉「人類学者が教える呪いの解き方とかけ方」(NewsPicksトピックス)https://newsPicks.com/topics/eri_hashimoto
ヘイトは「多様性の尊重」とセットで語られることも多い。ヘイトは多様性に対するバックラッシュ(反動)として勢いを増してきたともいわれる。私は、ヘイトも多様性も、単なる個別の感情や社会現象ではなく、私たちがより生きやすい社会を求める過程で生まれる「物語」であり、同時に「呪い」であると考えている。その理由を述べる前に、私自身に起きたヘイトを巡る出来事に触れておきたい。
- 3 : 2025/11/06(木) 22:42:56.16 ID:cR8gKKEZ0
- ■人類学者がヘイトに加担した日
「ヘイトは良くない」と言ってしまうのは簡単だ。しかし、憎悪の感情や衝動は、誰もが心に抱く可能性のあるもので、ヘイトに加担する(と思われる) 人たちを「道徳的に問題のある人間」と決めつける のもまた、ひとつのヘイト行為であると私は考えている。なぜなら、私自身、いかなる状況でもヘイトに加担をしないかと問われると、絶対の自信はないからだ。ちょっとした社会の動揺のために、なんでもなかったことが一気に特定の集団に対するヘイトに転じてしまう。そんな場面を、私は何度もアフリカで見てきた。差別に対する道徳教育を日本で幾度となく受け、また教える立場である私もそれに関与したひとりなのだ。
- 4 : 2025/11/06(木) 22:43:59.99 ID:cR8gKKEZ0
- 恐怖を説明してくれる「物語」が必要だった
私は2010年から2年弱ほど、フィールドワークの一環で南スーダンのとある民族の集落で居候生活を送っていた。その集落は民族紛争が繰り返されていた地域だった。アフリカにおける「民族問題」という言葉には注意が必要だ。
その背景には、植民地統治の歴史や政治家同士の対立、グローバル経済のしわ寄せ、地域格差など、「民族の違い」だけでは説明しえないさまざまなファクターがあるからだ。一方、それらの諸問題を一くくりにしてわかりやすく結論付けるための便利な道具として、「民族問題」や「文化(人種・宗教)の違い」という物語がしばしば機能する。
私が滞在していた地域にあった道端のカフェでは、例えば次のような会話がよく交わされていた。「こいつの出身の〇族には、こんな変な慣習があるんだよ!ウケるだろ!」「いや、だってお前の民族にも〇〇の野蛮な文化があるじゃないか!ワハハハ!」
この段階の言説はまだ「民族問題」に発展しておらず、どちらかというとお互いの違いを面白がるエスニック・ジョークのたぐいで、民族を超えた者同士のコミュニケーションの潤滑剤となっていた。しかし、ひとたび政治情勢が不安定になったり、経済状況が悪化したりすると、こうした冗談半分に語られていた言説が、「あんな慣習をもつ民族は同じ人間ではない」といったシリアスな差別や排除的な言動へと変化することがあった。
そして研究者である私も、武力紛争が激化するなか、居候先の民族を「攻撃してくる」(とうわさされていた)別の民族を心から恐れていた。それだけでなく、敵の民族に対して「根絶やしになってほしい」と本気で願っていた。敵民族に関する真偽不明の情報を真剣に受け止め、居候先の家族と一緒になって彼らをののしった。これはまぎれもないヘイトだ。 毎夜の銃撃におびえる私たちに必要だったのは、目の前の恐怖を説明してくれる物語だった。この恐怖の前では、日本で受けた道徳教育も、高等教育で培った知性や理性も無力だった。
帰国後、自身が経験した民族紛争には複雑な背景があり、攻撃していたのは必ずしも私が「ヘイトした」民族でないことを知った。私は研究者として自分のヘイト的言動を恥じた。では、また同じような恐怖に直面した際、ヘイトの物語に加担せずにそれを乗り越えられるかと問われれば、正直自信がない。
- 5 : 2025/11/06(木) 22:44:07.40 ID:cR8gKKEZ0
- これはアフリカ紛争地域の極端な経験に思われるかもしれないが、日本におけるヘイトを巡る状況にも通じている。それは「わからなさ」への不安、そして人がよって立つ「生の基盤」が脅かされることへの恐怖だ。これらの感情は、社会で支配的な物語をつくりあげ、流通させる強い原動力になる。
私は自分の経験をもってヘイトや差別を正当化したいわけでも、仕方のないものとして諦めたいわけでもない。ただ、誰もがヘイトに陥る心理的・社会的状況があることを自覚し、この状況を「異常」「例外」としてラベリングするのではなく、「自分ごと」として向き合えるようになりたいと考えている。
- 6 : 2025/11/06(木) 22:44:48.27 ID:cR8gKKEZ0
- ■「嫌い」と「ヘイト」の境界線
あなたには「嫌いな人」がいるだろうか。誰もが抱いたことのある親しみ深い「嫌い」という感情は多種多様だ。「なんとなく苦手」「生理的に無理」「孫の代まで呪いたい」……。さまざまな段階や表現が出てくるはずだ。では、私たちは毎日ヘイトをしているか、と言われれば決してそうではない。「昨日の敵は今日の友」「敵に塩を送る」「人の噂も七十五日」といったイディオムが示すように、私たちにとって、「嫌い」も「敵」も単に排他的な感情・関係ではない。それらはとてもうつろいやすく、完全な排除には至らない複雑な感情・関係である。
日本流の排除の慣習として名高い「村八分」ですら、排除の程度は「八分」にとどまり、残りの「二分」、つまり葬式と火事のときは協力し合うものであった。これは村落全体の利益のためでもあったが、同時に、「八分」にされた者たちと再びつながる可能性を残していたのだ。
「嫌い」が発生したとき、私たちはこれまでどうしてきただろう。「陰口」という言葉が示すように、特定の個人や集団に対する悪口は、会社の給湯室、 井戸端、お茶の間など当事者不在の「裏側」で、“優雅に”語られていたはずだ。ところが、インターネットという巨大な「井戸端」が登場して以来、「嫌い」は、その柔軟さやはかなさを失いつつある。人の陰口は、もはや「陰」ではなく、当事者を含む誰もが「表」で閲覧できるものになった。見知らぬ誰かを巻き込んだ悪口大会はどんどん膨れ上がり「憎悪」に変わる。そして、半恒久的にネット上にとどまり続ける。
私が恐ろしいと感じるのは、ヘイトの主張や嫌悪感情そのものではなく、「そうだ、そうだ!」と共鳴する大衆だ。なかには、「よくわからないけど、なんとなく」というその時々の雰囲気にのまれて参加している人 も少なからずいる。いつの時代も、支配的なイデオロギーや信念を形成する鍵を握るのは、この「なんとなく勢」なのである。その勢いはネット上にとどまることなく現実世界に進出し、時として誰かの心身をも危険にさらしている。今や私たちは、見知らぬ誰かが一時抱いた感情や日常のちょっとした経験を覗き見て、それに共感し、憤り、矛先を向けられた誰かの人生に関与することもできるようになってしまったのだ。
- 7 : 2025/11/06(木) 22:45:08.31 ID:cR8gKKEZ0
- ■人間は「物語依存症」
前述の通り、「嫌い」という感情、そして人の悪口は、ただちに排除や差別、分断と結びつくような単純なものではない。むしろ嫌いという感情や人の悪口やゴシップ、それを伝える作法は、地域や歴史を越えて、私たちの社会生活を構成してきた。他人に対して抱いてしまう負の感情に対して、多くの社会はそれを対処・解決する装置を用意してきた。そのなかのひとつが呪術(呪い、妖術、邪術など)である。呪いをかけることも、特定の個人や集団に対する一種の攻撃であり、ヘイトである。
- 8 : 2025/11/06(木) 22:45:59.02 ID:cR8gKKEZ0
- 「うさんくさい多様性」の正体
なぜ呪術的なものが多くの社会に共通して存在してきたのだろうか。その答えのひとつは「わからない」ものごとに対する不安や恐怖だろう。呪術のみならず「悪魔」や「魔女」、「つき物」や「妖怪」も、さまざまな不可解な出来事や不幸を説明するスケープゴートを見つける手段であった。私たちは、「わからない」という状態に長時間耐えることができない。だからこそ、原因不明の体調不良に病名がつくとほっとするし、社会が不安定になると真偽不明の情報が一気に拡散する。私たちに必要なのは、呪術や妖怪そのものよりも、「わからない」ことをわかりやすく説明してくれる物語と、そこから得られる一時的な快楽や安心感なのだ。意外に思われるかもしれないが、呪術は、社会の秩序もつくり上げる。呪術が有効な社会(かつての日本もそのひとつ)では、さまざまな出来事が「呪術(師)のせい」にされる。そこでは人々は、呪われないように、あるいは人を呪う者だと疑われないように注意深く行動する。呪いにかけられた者は、「誰の恨みを買ったのか」と胸に手を当て、自身の過去の言動を振り返る。また呪った者も、それが明らかになれば社会から排除されるリスクにさらされる。呪術のある社会は緊張に満ちているが、「呪われるかもしれない」という意識はある種の社会道徳としても機能している。ただし、呪った者・呪われた者も薬やきとうによって「治癒」されることも多い。
- 9 : 2025/11/06(木) 22:46:05.85 ID:cR8gKKEZ0
- 呪術も「村八分」と同じで、一度社会からはじかれた者を、再び包摂するシステムでもあった。アフリカでは現代でも地域によっては呪術が使われる。ところが近年では、「魔女狩り」と同じように単なる排斥運動になることも多いようだ(注2)。かつての柔軟さをなくしつつある点に、私は日本のネット社会(巨大な「井戸端」)との共通点を感じる。呪術も宗教も科学も、その時々に人類が欲してきた「合理性」あるいは物語の集大成である。これらは不安や恐怖への対処の技術でもあった。この3つの見かけや効果は異なるものの、その根底にあるのは、「説明したい」「納得したい」という物語を希求する人間の性質だ(注3)。物語依存症の私たち人間は、常に目の前の現象について説明したくて仕方がない。因果関係(らしきもの)を見つけ、起承転結をつけて語ることが大好きだ。自分自身の苦境にかかわる因果の物語を発見したときの興奮や快感、「こいつが悪者!」とわかった(気がした)ときの熱狂たるやすさまじい。
- 10 : 2025/11/06(木) 22:46:34.67 ID:cR8gKKEZ0
- ※(注2)人類学者の浜本満は、ケニアのドゥルマ社会において近年過激化する妖術師排斥運動を取り上げ、その背景にある植民地統治時代の影響や地域行政との関係、そして近代教育に対する人々の不安との関係を分析した(『信念の呪縛 ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』浜本満、2014年、九州大学出版会)。呪術がかつての柔軟さや個別性を失い、集団ぐるみの排他行動へと転じた原因のひとつは社会の「近代化」であることも指摘できる。
※(注3)西洋社会における呪術・宗教・科学の領域の確定プロセスについては人類学者S・J・タンバイア『呪術・科学・宗教:人類学における「普遍」と「相対」』(多和田裕司訳、1996年、思文閣出版)に詳しい。またエヴァンズ=プリチャードによる南スーダン、アザンデ人の妖術を扱った民族誌『アザンデ人の世界:妖術・託宣・呪術』(向井元子訳、2001年、みすず書房)では、特定の社会における信念・知識の生成プロセスや秩序の維持機構としての妖術の側面が指摘され、人類学者のみならず哲学者や社会学者を巻き込んだ合理性論争に寄与した。
しかし、その熱狂は、実際には 複雑な要素が絡み合っている事実 を素通りし、「本当の問題は何か」を考える力を私たちから奪ってしまう。そして私たちは、特定の物語を信じ依存し続け ることで、不安や恐怖から目をそらし、どうにかそれ を癒やそうとする。ヘイト、陰謀論、過剰な科学信仰──。これらの物語の「舞台セット」には、私たちの不安や恐怖が潜んでいるのである。
- 11 : 2025/11/06(木) 22:46:55.61 ID:cR8gKKEZ0
- ■「うさんくさい多様性」の正体
物語への熱狂は、ヘイトのみならず「多様性」と いう言葉にも当てはまる。「多様性疲れ」「ポリコレ疲れ」といった言葉に示されるように、ヘイトの発生原因としてよく言及されるのが「多様性」への反動(バックラッシュ)である。
もちろん、人類が厳しい環境を耐え抜きここまで生存してきたのは、遺伝的・社会的多様性を確保してきたからにほかならない。ひとつの価値観や特性のみを共有する仲良し共同体では、急な社会変動や秩序の転換に対応できない。
- 13 : 2025/11/06(木) 22:47:18.54 ID:cR8gKKEZ0
- 思考停止に抗う、ただひとつの方法
しかし、多様性という言葉自体は、「多様である」という事実以上のことを指していない。その良し悪しや、「そうあるべき」「許すべき」などという価値観は含まない言葉である。ところが昨今の「多様性」は、「容認する」「受け入れる」という上から目線の動詞とセットで使われがちで、「認める側」と「認められる側」の分断をも生み出している(注4)。「多様性」へのバックラッシュは、人類の共生という壮大な物語の陰でひっそりと生じている分断と、そのために感じる「うさんくささ」が関係しているのではないだろうか。
※(注4)これについては別稿で詳しく論じた。橋本栄莉『モヤる「多様性」を人類学と考える(1)〈不思議なことば編〉』https://newspicks.com/news/9389367/body/
「世界はこうあるべき」「人間はこうするのが普通」。このような物語は、特定の秩序をつくり上げるのに便利だったが、同時に適合できない人間に対する厳しさや苦しみも生み出してきた。私たちが理想の物語を生きるために、見ないふりをしてきた私たち自身の不安や恐怖に、もう少し目を向けてもよいのではないだろうか。
- 14 : 2025/11/06(木) 22:47:51.35 ID:cR8gKKEZ0
- ■思考停止に抗う、ただひとつの方法
では、幾千万の人類の不安や恐怖、そして複雑な人間社会を見てきた人類学が示すことのできるソリューションとは何だろうか。「コスパ」や「タイパ」が重視される今の社会が求めがちなのが、わかりやすい物語だ。ぱっと目につく見出しやサムネイルで、私たちは世界についての物語を取捨選択しなければならない。わかりやすい物語ほど伝わりやすく、拡散は早い。そして、拡散すればするほど、その物語は個人の経験を巻き込み、「そうだ、そうだ!」と共感を集め、より「真実らしさ」を獲得してゆく。
しかし、聞こえのいい物語は、必ずしも私たち自身の不安や恐怖を癒やしてくれるわけではない。むしろ、問題の本質を覆い隠す。私たちが取り戻さなければならないのは、魅惑的な物語の前で一度立ち止まり、それを疑う力だ。自分自身が安易に「舞台セット」のひとつになってしまわないことだ。私たちが「いいね!」や「リポスト」を押すその指一本には、人類が抱える複雑さを特定の物語に封じ込める力がある。そしてときには、幾千万の人を都合の良い登場人物に変える呪いの力も宿っている。
残念ながら、私たちは常に物語の奴隷だ。しかし同時に、それを創造し、修正し、伝えていく主人でもある。どの物語に寄り添うかは、私たちが選び取ることができる。目の前の物語は、わかりやすすぎはしないだろうか。そう自分自身に問いかける力が、現代を生きる人間に求められている。
橋本栄莉◎立教大学文学部史学科超域文化学専修教授。東京学芸大学教育学部卒業後、2008年より南スーダン共和国でフィールドワークを開始。15年、一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。19年立教大学着任、25年4月より現職。24年、第21回日本学術振興会賞受賞。著書に『タマリンドの木に集う難民たち-タマリンドの木に集う難民たち-スーダン紛争後社会の民族誌』(九州大学出版会)など。
- 15 : 2025/11/06(木) 22:48:22.29 ID:ge4SXDo/0
- なんで呪術の話とかし始めちゃうの?(ヘイト)
- 16 : 2025/11/06(木) 22:49:01.88 ID:3i8dogqa0
- そもそも自民党の小渕優子がさんざん誹謗中傷を業者使ってやってる
自民党こそヘイトの集まり - 17 : 2025/11/06(木) 22:49:05.83 ID:TzDJh0Dy0
- バカ左翼「ギギギ」
- 18 : 2025/11/06(木) 22:49:29.80 ID:1QYyGjNR0
- 立教って感じ
- 19 : 2025/11/06(木) 22:51:20.68 ID:AmVTA3W60
- > ヘイトに加担する(と思われる) 人たちを「道徳的に問題のある人間」と決めつける のもまた、ひとつのヘイト行為であると私は考えている。
ヘイトに加担する(と思われる) 人たちを「道徳的に問題のある人間」と決めつけるのも一つのヘイト行為である、と決めつけるのもまた、一つのヘイト行為ではないだろうか
- 20 : 2025/11/06(木) 22:53:43.89 ID:OVQOcPcA0
- それヘイトですか?
- 24 : 2025/11/06(木) 22:57:35.45 ID:cGPL68fy0
- 人間なんて叩かれないと成長しねえよ
- 25 : 2025/11/06(木) 22:58:07.91 ID:vYVV70RY0
- おまえじゃん
- 26 : 2025/11/06(木) 22:59:43.15 ID:DnoONPX30
- 韓国海苔と韓国コスメを愛する高市総理には無縁のスレ
- 27 : 2025/11/06(木) 23:02:22.48 ID:SJQK6FLG0
- 流石母校いいよっ
- 28 : 2025/11/06(木) 23:05:35.43 ID:N7lR3vMf0
- パを擁護している?
Xの組織的ヘイトがすごいもんね - 29 : 2025/11/06(木) 23:29:26.04 ID:JwVn5clO0
- ヘイト・ヘイト言う奴がヘイトなんじゃァ!
ネトウヨ朗報】立教大教授「ヘイトに加担する 人を道徳的に問題のある人間と決めつけるのもまたヘイト
ニュー速


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